Ph. Dialogue「博士人材セミナー」は、Ph. Discover連携企業からゲストを迎え「博士課程修了者が企業でどのように活躍しているのか」「企業は博士人材に何を求めているのか」について話していただき、後半はゲストと学生が対話を通して交流する企画です。13回目は佐久田淳司さん(旭化成株式会社)をお迎えしました。
旭化成株式会社:https://www.asahi-kasei.com/jp/
1922年に創業した総合化学メーカー。日本で初めて水電解の水素を利用するカザレ法でアンモニア合成に成功する。合成化学や化学繊維事業から始まり、現在は超多角化企業に成長。世の中にイノベーションを起こすことで、“昨日まで世界になかったものを”生み出していく。
ノーベル化学賞の吉野彰氏は旭化成名誉フェロー
旭化成株式会社人事部の佐久田です。2015年に博士課程修了後、新卒で旭化成に入社し、基礎研究に従事。その後本社での研究企画の業務を経て、2020年3月から人事部で技術系新卒採用を担当しています。今日は当社のご紹介と私自身が2015年に入社してから考えてきたこと、そして博士の皆さんへの期待についてお話しします。
旭化成は技術を通して、世界の人びとの“いのち”と“くらし”に貢献する総合化学メーカーです。「マテリアル領域」「住宅領域」「ヘルスケア領域」の3つのフィールドで多角的な事業を展開しています。
ご家庭でおなじみのサランラップをはじめ、リチウムイオン2次電池用の部材や断熱材、タイヤゴム材、ヘーベルハウス、医薬品、AEDなど、ごく一部の代表的な製品を紹介するだけでも製品展開が幅広いことをご理解いただけると思います。4万人以上の多様な人財が働いており、中でも2019年には旭化成名誉フェローの吉野彰がリチウムイオン電池に関する研究開発の功績によりノーベル化学賞を授与されました。
旭化成はアンモニア合成と、そこから誘導される化学肥料や再生繊維の事業で創業し、その後は各時代のニーズに応える新しい技術や製品を次々と創り上げることで事業を多角化してきました。この経緯からも、挑戦や変革を恐れないDNAが当社の根底にあると感じています。
多様な事業を展開する当社は、それに紐づく形で大変幅広いコア技術を有しています。各領域で第一線を走る研究者・技術者が、技術をさらに深堀していく、新しいコア技術を創り上げる、異なる領域の技術の融合から新しい展開を打ち出す、といった様々な視点で精力的に活動し、活躍しています。
「想定外」のキャリア形成で人生がどんどん面白く
ここから先は入社7年目の私の経験から、博士人財の皆さんに少しでもお役に立てそうなことをお伝えできればと思います。
「心のザワつき」という視点でこれまでの私の歩みを振り返ってみました。やはり博士課程進学という決断は私の心をザワつかせ、研究者としての人生に大きな影響を与えました。旭化成入社後に研究職として仕事をしたことはある程度想定内だと思っていましたが、その後本社で研究企画に従事し、2020年に現職に就くまでは「想定外」のことばかり。入社前は想像していなかったキャリア形成に驚く一方で、振り返ってみると博士課程進学がその伏線になっていたりして、人生がどんどん面白くなってきているというのが現在の実感です。
企業の研究者として大切なこと
入社後4年間の基礎研究では燃料電池用電解質膜の開発を担当しました。企業での研究・開発を通して思ったことは、「研究」や「開発」と一口に言っても、実にたくさんの仕事があるということです。電解質膜をテーマにした4年間で、膜の性能を左右する核心技術の開発はもちろん、加工技術・生産プロセスや製品安全、評価技術、特許出願、テーマ探索、といったあらゆることに取り組みました。同じテーマに携わっていても、仕事の内容や視点、扱う技術は大きく変化していくので、幅広いことに興味をもって勉強、能力開発を続けていくことが、企業では大切だと感じました。
その中で私が感じた「研究者として大切にすべきこと」がこちら(下図)です。
現在、現役で研究に従事されている皆さんにとっては当たり前のことかもしれませんが、やはり原理原則を捉えて、科学の真理を追いかける本質を突き詰める姿勢は、企業の研究においても大前提です。2つ目に、データに真摯であること。技術者にとってデータは、進むべき方向を主張し、立場の上下関係なく周囲と台頭に議論するための武器になります。
3つ目に、自分の軸。例えば専門性です。研究・開発は基本的にチームで行いますが、他のメンバーに無い新しい視点や発想を、自分がそれまで培ってきた専門性や経験に基づいて発信していくことが重要だと思います。4つ目に、俯瞰する視座。自分の研究を適正に客観視すること。特に産業界であれば世の中に本当に求められている技術なのかということを、お客さまの技術や課題まで理解した上で検証する必要があります。そのために自分が進めているテーマだけでなく周辺領域を積極的に勉強する広い視野が必要ですね。
次に、人を巻き込む力。産業化には非常に多くの課題や困難が待ち受けていますが、一人の力ではとても乗り越えることはできません。「人を巻き込む」と言葉でいうのは簡単ですが、実行するのは結構難しいですよね。ロジカルに説明する、感情に訴える、など方法は人によってさまざまだと思いますが、重要なのは6つ目「これを成し遂げたい!」という意志や熱意が根底にあることでしょうか。意志、熱意があるからこそ自分の行動力も生まれますし、他者への働きかけも可能になります。同じ目標を共有する仲間を作るためにも、「この人と仕事をすれば面白いことになりそう」と思ってもらいたいものですね。
新たに知った課題発掘の重要性
本社の研究企画部門に異動になり、何の研究をするのかという技術戦略と、それをどう進めるのかという方針を考える仕事に携わりました。正直なところ、研究者の武器だと思っていた実験やデータを自分の裁量で蓄積できなくなったので、どうしよう…と途方に暮れたこともあります。忘れてはならないのが、研究は現場で、研究者が進めるということです。ですから研究者が動きやすいように、研究が加速するように、企画側でできる限りのサポートをします。そういった積み重ねから良い関係を作って、現場の研究者と議論をして、企画部門が持てる視点を提供しながら、研究者が本当に腹落ちして取り組める技術戦略や方針を作り上げていくことが大切だと感じました。そんな中で新たに学んだことが、課題設定の重要性でした。皆さんもPDCAサイクル(※)をご存知だと思いますが、そもそもの課題設定が間違っていたらどんなにPDCAサイクルを回してもいい結果には結びつきません。(※PDCAサイクルとは、生産管理や品質管理などの管理業務を継続的に改善していく手法のことです。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)のサイクルを繰り返します。)
課題というのはお客さまのニーズであったり、ステージアップにおける技術的な課題であったり、コストであったり、競合優位の確保であったり、多岐にわたります。その一例として、お客様のニーズを“技術的な言語”で表現することが挙げられます。もう少し具体化すると、お客様のニーズをスペック表という形で表現でき、我々の製品や技術がそれを満たしているのかを検証するための物差し(評価技術)を持っている状態を目指すということです。このように口で言うのは簡単ですが、「課題を正しく認識する」ことが極めて難しい。特に企業ではお客さまのニーズが重要な課題となりますが、これは簡単には降ってきません。お客さまはクリアに言語化できない課題や秘密保持の観点で明かせない課題を潜在的に抱えているので、「課題認識」というよりは「課題発掘」と言った方が適切だと思います。
「掛け算」と「自分軸」を大切に
博士人財とは何者か、考えてみたことはあるでしょうか。もちろん「専門性の高い技術者」であることは周知の事実ですが、私は「先が見通しにくい状況においても現状を打破できる人財」なのではないかと考えています。複雑で変化も早く、予測不能なこれからの時代、「課題を発掘する」「進むべき方向を決定する」「解決までやり切る」ことができる人の活躍が求められていきます。
ここで考えていただきたいのは、この「課題発掘」「方向を決定」「やり切る」プロセスを、今まさに皆さんが日々の研究で実践されているということです。研究者として大切にすべきこと、これから求められる人財に関するキーワードは、全て博士での研究に盛り込まれていると思いますので、研究に本気で取り組んだら自然に力がついてくる、というくらいの心づもりで、研究を思い切り楽しんでください。応援しています!
そして最後に触れておきたいのは「掛け算」と「自分軸」。掛け算については先ほどお話した、「人を巻き込む」ことで生まれる他者との掛け算はもちろん、自分の中でも掛け算することを考えてみてください。キャリアの中で様々な経験をして能力開発をしたり、専門の柱をいくつも立てていくことで、「自分にしかできない」仕事が可能になるのではないか、ということです。また自分軸は、自らのキャリアや成長、評価を自分の軸をぶらさずに捉えることで、人と比べるようなことをせずに結果的に幸せになれるのではないか、という考え方です。ただ、その前提は妥協しないことですね。「しっかりやり切れた」という納得感や自尊心をもって、皆さんと一緒に私も自分らしいキャリアを築いていきたいと思います。一緒に頑張りましょう!
コミュニケーションタイム
異動で広がる思わぬ可能性
Q:研究職で入社し、その後2度の異動があった佐久田さん。異動はご本人の希望だったのですか?
佐久田:どちらも社命でした。特に採用人事については意外に感じると思いますが、私の前任者も北大の博士課程を修了した方でした。当社は「修士だから」「博士だから」という先入観は持たず、各自の適性や将来性を考えながらフラットに人を配置しているので、自分次第で様々なキャリアが可能になります。私の場合、「事業部に行きたい」という希望を出したことがあり、全くその通りではありませんでしたが、研究企画部門でこれまでの自分に無い、事業化を意識した考え方を学ぶことができました。採用人事に異動、と言われた時は「本当に?」という驚きはありましたが、こんなに貴重な機会はないという前向きな考えにすぐに切り替えることができ、今はとてもやりがいを感じて仕事をしています。
Q:研究の自由度はどれくらいありますか?
佐久田:企業での研究は社会実装が最終目的ですから、基本的には「これを研究してください」というテーマが与えられます。ですが、そこから先の展開は本人次第。「これもできる」「あれもやったほうがいい」というアイディアが湧いてきたら、先ほどお話ししたデータという武器や巻き込み力を駆使して、新しいテーマを立ち上げることは十分可能です。新しいテーマの提案を促す施策を推進している研究所もあります。ただ、またも企業の性質上、使える時間は無限ではありません。そこは工夫や効率化の努力が必要になってきます。
Q:社会実装をゴールにすると、企業の経営判断で断念する研究分野もあるのでは。もしそうなったとき、研究者たちはどうなるのでしょうか。
佐久田:ご指摘の通り、時代や社会の情勢・変化により縮小に向かう研究テーマは現実にあります。ただその一方で、進捗著しく、さらに多くの人手を必要とする研究テーマも出てきます。そのバランスをとりながら、会社では適切な配置がされていきます。私の例のように、思わぬ異動や専門外の仕事に取り組むケースがあっても「自分の軸」が増える、幅が拡がる、と捉えればまた向き合い方も変わっていくのかもしれませんね。
Q:企業は測定や計算化学など各専門部署に分かれているイメージがあり、いろんなことをやるのが好きな自分は物足りなくならないか心配です。
佐久田:どこまで踏み出すかは自分次第だと思います。実際、“なんでもやりたがり”の人は当社にもいて、活き活きと働いています(笑)。一方で高度な設備や専門家がいる専門部署にしかできないことがあるのは事実なので、そこを頼ることも大切だと思います。もし「分析に立ち会いたい」とか「勉強したい」という時は、まず相談してみるといいかもしれませんね。それを断るような空気は旭化成にはないと思います。
デジタル共創ラボ「CoCo-CAFE」をオープン
Q:御社は機械学習やDXなどにも関心がありますか?
佐久田:DXやデータサイエンスは、まさに力が入っていてますます拡大していこうとしているところです。2021年には東京・田町にデジタル共創ラボ「CoCo-CAFE」をオープンし、デジタル共創本部という本部組織を中心とした全社横断型の取り組みが進んでいます。もしお時間がありましたら、「旭化成 DX説明会」で検索してみてください。当社の考え方や取組の実績など、詳しい情報にたどり着けます。
決めたあとは「良かった」と思えるように
Q:修士課程2年です。就職活動をするか、アカデミアを選ぶかですごく迷っています。
佐久田:わかります。今はまだ就職後のイメージも描きづらいでしょうし、研究の自由度が高いアカデミアも捨てがたい…難しい選択ですよね。
自身の決断を「良かった」と振り返れるように、決断した後はその道で妥協せずに努力することが大切だと思います。一方で、そこまでやって自分に向いていないと感じるのであれば別の道を考え直せば良い、くらい楽に捉えても良いと思います。実際に身を投じてみないと気付かないこともありますし、仮に考え直して別の道に進むことになったとしても、その経験は自身の「掛け算」の可能性を高めると思います。
開 催:2022年2月21日
主 催:Ph. Discover
共 催:北海道大学大学院理学研究院/北海道大学数理・データサイエンス教育研究センター(データ関連人材育成プログラム)/北海道大学博士課程物質科学リーディングプログラム