Ph. Dialogue「博士人材セミナー」は、Ph. Discover連携企業からゲストを迎え「博士課程修了者が企業でどのように活躍しているのか」「企業は博士人材に何を求めているのか」についてお話してもらい、後半はゲストと学生が対話を通して交流する企画です。2回目は佐久田淳司さん(旭化成株式会社)をお迎えしたPh. Dialogueの紹介です。
旭化成株式会社:
1922年創業の総合化学メーカー。「世界の人びとの“いのち”と“くらし”への貢献」をグループ理念に掲げている。社会のニーズに合わせて事業を多角化し、現在はマテリアル・住宅・ヘルスケアの3領域で事業を展開する。
サイエンスに幅広く取り組む旭化成
はじめまして、佐久田です。私は2015年の3月に工学系の博士課程を修了して、旭化成に入社しました。
旭化成はまもなく創業100年を迎えます。従業員4万人、売上2兆円規模の会社です。扱っている領域が広く、マテリアル・住宅・ヘルスケアの3本柱に注力しています。総合化学メーカーという印象が強いかもしれませんが、それはマテリアルの領域のことで柱の一本でしかありません。現在では住宅・ヘルスケアと領域を広げて、「総合科学メーカー」として多角化に挑戦しています。多様なコア技術や、幅広いマーケティングチャネルを生かし、連携・融合を大切にしながら、新しい価値を生み出そうとしています。
基礎研究から見えた、研究者として大切なこと
入社してまず、燃料電池の「膜」を開発する基礎研究の部門に配属され、4年間携わりました。大学の研究と違う点は、仕事の種類がとにかく多い事です。「膜」一つとっても、ポリマーの選定や組成、厚み、添加剤や補強の検討など、膜の設計から、評価技術や生産プロセスの構築も必要です。良い技術が生まれると特許化を検討することになります。周辺技術や市場、未来動向を調査して新しい探索テーマを検討する場合もあります。同じテーマに携わっていても、時期によって仕事の内容や視点、扱う技術は大きく異なるので、幅広いことに興味をもって勉強を続け、能力開発をしていくことが、企業では大切だと感じました。
大学、企業で研究した経験を通して、研究者として大切にしなければいけないと考える事が6つあります。1つ目に現象やデータにある原理原則を捉えること。産業においても、これが心許ない技術は事業化には堪えられません。2つ目に、データに真摯であること。技術者にとって、データは武器になります。この武器をもって、「こうすべきだ」と進むべき方向を主張し、立場の上下関係なく周囲と対等に議論できるのが技術者の面白いところです。ですから、データの量と質にはこだわって研究をするべきだと思います。3つ目に、自分の軸。専門性ですね。チームで研究・開発をするときに、自分がそれまで培ってきた専門性に基づく視点や発想を、チームに与えることが重要です。これが多様だからこそチームで研究を進める意味があるわけですし、理想的にはこの専門性を自分の中に何本も立てたいですね。
4つ目に、俯瞰する視座。自分の研究を適正に客観視すること。特に産業界であれば世の中に本当に求められている技術なのかということを、お客さまの技術や課題まで理解した上で検証する必要があります。その視点で他にどういった選択肢(競合技術)があって、自分が開発しようとしている技術がどの位置づけにあるのかの見極めることです。そのために自分が進めているテーマだけでなく周辺領域を積極的に勉強する広い視野が必要です。5つ目に、人を巻き込む力です。産学問わず、大きな成果を一人の力であげることは極めて難しい時代です。「人を巻き込む」と言葉でいうのは簡単ですが、実行するのは結構難しいですよね。論理的な思考をもって、自分も汗をかいて、「この人と仕事をすれば面白いことになりそう」と思わせることでしょうか。そして、最後6つ目、意志と熱意がやはり重要だと思います。精神論みたいですけど、研究をしていれば当然大きな障壁にいくらでもぶつかるわけで、そこで折れずに進むためには「これを成し遂げたい」という意志と熱意が大切なのではないでしょうか。以上6つ、当たり前なことをしっかり実行することが大切で、しかもそれが意外と難しいなと思いながら研究をしています。
企画部門でみえた、課題発掘力の大切さ
企業の基礎研究に従事した後、研究の企画部門に異動しました。何の研究をするのか、という技術戦略と、どう進めるのかという方針を策定する部門です。忘れてはならないのが、研究は現場で研究者が進めるわけで、企画部門が何を言ってもそれだけでは進まないということです。ですから研究者が動きやすいように、研究が加速するように、企画側でサポートをします。そういった積み重ねから良い関係を作って、現場の研究者と議論をして、企画部門が専門とする視点を提供しながら、研究者が本当に腹落ちして取り組める技術戦略や方針を作り上げていくことが大切だと感じました。
企業での研究において基礎研究から開発にステージアップして事業化へと進める時、「魔の川」や「死の谷」などと呼ばれる、大きな障壁があって、そこで多くの研究は頓挫してしまう話をよく聞くと思います。ではどうすれば良いのか。分かれば誰も苦労しないんですけど、一つ重要なのは課題を明確にすることだと考えています。課題というのはお客さまのニーズであったり、ステージアップにおける技術的な課題であったり、コストであったり、競合優位の確保であったり、多岐にわたります。
もし仮にこれらが正しく認識できていれば、日本の技術者は能力が高いですから、解決できる、乗り越えられるはずです。口で言うのは簡単ですが、「課題を正しく認識する」ことが極めて難しい。自分に自信を持つこともできません。特に企業であればお客さまのニーズが解決すべき技術課題につながるわけで、これはストレートには降ってきません。お客さまはクリアに言語化できない課題や秘密保持の観点で明かせない課題を潜在的に抱えているので、「課題認識」というよりは「課題発掘」と言った方が適切だと思います。
博士に期待するのは課題発掘力とやりきる力
課題発掘力を、博士人財に期待したいです。ドクターの研究は、テーマを探索する過程で世の中にどういった課題があるのかを学術的なレベルで発掘します。それをもとに自分の研究でどのように解決しようとテーマを設定して、あらゆる手段を尽くして、最後まで逃げずに解決に導いていくものですよね。専門性の獲得も大切ですが、このような課題発掘から解決のプロセスは、課題の性質は変わるかもしれませんが、企業でも重要です。特に世の中がますます複雑になり、変化も早くなって、企業や世の中にとって何が課題で、ビジネスチャンスになるのか、といったことが極めてあいまいになってきています。だからこそ、博士研究で培われる能力や経験がますます大切になってくるのです。こういった理由から私は博士人財の産業界での活躍は必須だと本気で思っていますし、幸いにも現在採用人事という立場にあるので、何か寄与できることはないかと、常に考えています。
色々と話をさせていただきましたが、皆さんお分かりの通り、大切なことは全て博士課程での研究に集約されています。研究者として大切にすべきこと、課題発掘力などこれから求められる人財に関するキーワードは、全て研究に盛り込まれていると思いますので、研究に本気で取り組んだら自然に力がついてくる、というくらいの心づもりで、研究を思い切り楽しんでください。
コミュニケーションタイム
研究で課題設定から実行まで自分の力でやりきる経験が大切
Q:学生の間に、専門以外に身に付けた方がよいスキルはありますか?
佐久田:博士がただ修士を延長したものにならなければ、習得するスキルの中身は何でもよいです。結局は、自分で研究をどこまで妥協せずにやれるか。自分なりに成し遂げたいことがあって、それに向かって課題を掘りさげテーマを設定し、実行するところまでやり切る、それだけだと思います。その過程で自分の専門の幅が広がっていくと素晴らしいですよね。
Q:研究室にずっとこもっている人と、研究以外のこともいろいろやっている人と、どちらを採用したくなりますか?
佐久田:どちらもよいところがあると思います。研究以外のことをやっていてもいいですし、そこにご本人を形成する重要な成果やプロセスがあればきちんと評価します。一方で、研究だけをずっとやっているというのも価値のあることです。ただし、その中で幅を広げていくと、特に企業に入ってから活きると思います。外部の人とディスカッションをして共同研究につなげたり、留学をしたり、研究の範疇の中でも外に目を向けることは大事だと思います。
個人の意向や適性を重視する社風
Q:修士と博士とで、採用後にすみわけのようなものはあるのでしょうか?
佐久田:弊社は、すみわけがないのが特徴かもしれません。修士だから、博士だからという事を特別意識せずに、本人の意志や適性、能力に応じて、キャリアを切り拓いていくという考え方です。採用の段階でも、修士を何割、博士を何割採用するという明確な方針はなく、強い組織を作るために採用、選考を行った結果として、それなりの数の博士人財に入社いただいているという状況です。
Q:内定をもらった後、どこに配属されるかどのように決まりますか?
佐久田:まずは本人の希望をしっかり聞かせていただきます。それに加えて本人に向いていることは何か、どういったキャリアに進んだら成長できそうか、といった会社側の視点も加味して、総合的な判断の下で決定します。
Q:個人に裁量権が与えられる社風なのでしょうか?
佐久田:そうだと思います。自分もそうだったのですが、新入社員の段階から、テーマは何かしら設定されていたとしても、それをどう進めるかは基本的に担当者の裁量で決めていくケースがほとんどという印象です。もちろん放置されるという意味ではなく、周囲の人と協力して、サポートも受けながら仕事を進めていきます。人に何かを相談、提案するときに「自分はこう思う、こうしたい」という熱意が大切だということでしょうか。仕事をしていると「こういったことにも取り組みたい、挑戦したい、テーマを提案したい」という想いが出てきます。その時に会社と人を巻き込み、周囲の応援を受けながら挑戦ができる、活き活きと働ける職場です。
博士で得た、課題を掘る力が仕事に活きる
Q:企業に入ってから、博士号を取得していて良かったなと思う所があれば伺いたいです
佐久田:先ほど大切なこととして「自分の軸」を挙げましたが、ある領域で博士論文を書き上げた「自立した研究者」という一定の自信と責任をもってテーマに関われるのは大きいですよね。また、研究を進める際に、課題に対する重要な本質を捉える視座は、博士に進んで広く、高精度になったと思います。例えば材料開発において、その材料の基礎物性だけではなく、それが使われるシーンまで考慮するということですかね。具体的には材料の基礎物性がデバイス性能にどのように影響しているかを、原理原則に則って正しく考える癖がついているということでしょうか。この課題設定の部分が間違っていると、どんなに良いものを作っても(作ったと思っていても)、意味がなくなってしまうので大切にすべきだと思います。加えて、口だけではなくしっかり手を動かして、実験事実、データに基づいて正しい方向に進んでいくという研究の基本は身についているのかなと、自分では思っています。
Q:課題発掘力というお話がありましたが、人事のお仕事でそれが活きた経験はありますか?
佐久田:人事に異動した直後からコロナ禍だったので、これまでの採用や業務のフローをすべてそのまま踏襲、というわけにはいきませんでした。そういった前例がない中で仕事を進めていくためには「課題を発掘して打ち手に反映」させないといけないので、そういった点で活かせているのではないかなと考えています。もともと旭化成の新卒採用は担当者がそれぞれ考える課題に対して施策を練って、自由に実行できるので、やりがいをもって仕事ができています。
Q:「海外の研究者は博士号を持っていないと相手にしてくれない」という噂を聞くのですが、博士号の肩書きが役に立ったことはありますか?
佐久田:私の場合は基礎研究だったので海外のお客さんとやりとりする機会があまり無く、実体験としてはありません。ただ、海外とのやり取りがあったり、海外拠点に駐在している同僚によると、そういったケースは実際にあるそうです。よく言われることかもしれませんが、製薬の領域はその傾向が強いようですね。海外とのやり取りの頻度によって濃淡はありますが、博士の肩書きが役立つことは事実だと思います。
Q:入社後に博士を取得する人や、もともと博士を持っていて転職する人はいますか?
佐久田:入社後に博士を取得する人は実際にいます。私がいた部署にもそのような先輩がいました。ただ、社会人博士を取るのも難しくなってきているので、昔ほど多くはないみたいですね。ドクターで入社した後、転職する人もいます。私の同期で、大学に戻って助教になった人もいます。ですので、どちらも数として多くはないですが、例としてはあるということになります。
開 催:2021年1月21日
主 催: Ph. Discover
共 催:北海道大学大学院理学研究院/北海道大学数理・データサイエンス教育研究センター(データ関連人材育成プログラム)/北海道大学博士課程物質科学リーディングプログラム