2020年9月22日、北海道大学物質科学フロンティアを開拓するAmbitiousリーダー育成プログラム(以下ALP)の第7期生採用式が執り行われました。ALPとは物質科学を中心に分野横断的に学び、社会人として高い能力を養い、学位取得後には学術・研究機関だけではなく民間企業など社会の広い分野で国際的に活躍する人材を育成するための教育プログラムです。2020年3月に文部科学省の補助金事業としての補助期間は終了しましたが、北大の事業として継続して活動することが決まっています。会場となったのは90年の歴史がある理学部本館大会議室です。第7期生として採用された4名の大学院生に長谷川晃理事(副学長・プログラム責任者)から「プログラム生認定証」が手渡されました。その後、長谷川理事よりウェルカムセミナーとして「科学の秩序学」と題してレクチャーがありました。その内容をダイジェストにまとめて紹介します。
*肩書きは採用式当時のものです。
若い頃の関心を大切に持ち続けてほしい
長谷川です。副学長の職を3年半ほど務めてまいりましたが、明日、退職することになりました。ALP責任者としての最後の仕事となるでしょう。そのような節目に、みなさんの前でお話することに深い感慨があります。7期生のみなさん、採用おめでとうございます。
若い頃の関心は、人生の中でいろいろ形を変えつつも、最後にまた戻ってくるものです。皆さんがこれからALPで学んでいく際、基礎としての物質科学への関心、それはおそらく多くの経験を経て、また社会的な様々な訓練を受けて変化します。しかし、年齢を重ね、きっと別の形で戻ってくるはずです。ですから、いま皆さんが持っている関心事をぜひ大切に持ち続けてほしいと願っています。
科学にも秩序があると考える必要性
さて本日のテーマ「科学の秩序学」についてお話します。私の専門は法哲学です。法哲学には二つの側面があます。一つは法思想史で、古代ギリシャ以来、哲学者たちが考えてきたことを探っていく学問です。もう一つは、理論法哲学です。それは法とは何か?あるいは正義とは何か?そのような問題について思考を重ねる学問領域です。
これからお話する内容は、後者にあたりますが、科学にも秩序があると考える必要性をみなさんにお伝えしたいと考えています。個人の科学的な営み、真理の探究、勉学、研究は、実は一定の秩序で支えられているはずで、その中で皆さんはその秩序を生かしながら、科学を追及する必要があります。
内省的知力とは何か
ALPでは、内省的知力が重要だと言われています。私なりにその内省的知力というものを理解しながらお話しします。内省、reflectionと英語で表現しますが、自分一人で考えるのではなく、他者との対話を通して考えることを示します。また、自らの行いに対して批判的精神を持って、一度突き放してみます。すると、自分を取り巻く環境、あるいは人間社会のあり方にも目を向けることになります。自らの研究を進めると同時に、周囲の環境的な条件、あるいは歴史的条件、そういうものを含めて俯瞰的に考えることだと私は理解しています。自分自身を絶対視しないという視点が大切です。
次に、そうであれば、当然、同じ専門領域、または人文社会科学も含め別の専門領域、あるいは社会の常識も、自分の研究とどのような関係性があるか、その比較が重要になります。社会に目を向けることで、自身を再認識する手掛かりを得られるのです。ですから内省的知力とは、自己を含めて社会、そして自然界と対話する力といえるでしょう。広い意味でのコミュニケーションを通して、改めて科学について考える力、それが内省的知力ではないでしょうか。
科学における制度条件、そして自由とは何か
さて、科学的な探求をしていく中に、実のところ制度的条件というものがあります。この制度というのは必ずしも法律とは限りません。いま、このような形で採用式を行っていることも一つの制度的な枠組みと言えます。あるいはALPにもカリキュラムがあり、様々なルールがあります。大なり小なり、制度というのは人間にとって非常に重要な枠組みになっていることは事実です。人間は制度をつくり、その制度によって自らを律しているわけです。科学も、当然、そういう広い意味での制度的な条件と関係がある訳です。
本日のテーマの一部である秩序について話を移します。科学は自由であり、人間の創造的な営みであることは間違いありません。自由があるからこそ多様な研究ができます。自由がなければ、科学的探求は制限を加えられ、さらに政治的に行って良いこと・悪いことが決められたり、あるいは、社会的に善悪を決められたりするかもしれません。歴史を振り返れば、ガリレオのようにそのような事実は数多くありました。しかし、科学というのは真理との関係では自由であって、自由に真理を追究するということこそが科学の真骨頂です。これが基本の考え方だと思います。
この「自由」とはなんでしょう。特に法律、あるいは政治の領域で最も重要な自由は消極的自由と呼ばれ、他人の干渉を受けないことを意味します。例えば、政治権力から干渉されるが、自由である。あるいは、社会的世論から干渉されるが、自由である。そのような意味で、何らかの不当な介入や干渉を防ぐために消極的自由が重要となります。
この「消極的」というのは、普段私たちが普段使う言葉、「積極的」「消極的」ではありません。あくまで他者から干渉を受けないという意味での自由です。だから、その中身はすべてオープンです。表現の自由、言論の自由、それから議論の自由、集会、結社の自由。あるいは信仰の自由、思想の自由。そして学問の自由です。それらの自由が、近代以降、現在に至るまで消極的自由と表現され、これを保障するということが一番の目的とされてきました。
消極的自由という形の学問の自由が社会的に保障される環境で、研究者は主体的に、そして内省的知力を携えながら活動する……それが噛み合うことが重要です。そうして知識は成長し、智恵となって深化して行きます。これが一番大きな意味の秩序、科学に関する秩序の一つのあり方だと思うのです。
科学の倫理、道徳について
さらに、科学という秩序の中には倫理や道徳、法があります。科学の倫理とは何でしょう。様々なものがありそうです。真理追及、厳密な体系化を持った知識の展開、人類の幸福のために活動すること、このような信念は個人が持っている科学に対する動機づけになります。その一方で忘れてはいけないのは、道徳です。これは、科学者がお互いに正しく科学的活動をしていくための制約条件です。さらに、内的制約と外的制約に分けられます。内的というのは、特に強制を含まないもので、外的というのは一定の強制を含めるものです。
一つの例を示します。これはとりわけ生命科学の分野で重要な問題になっている遺伝子操作をやって良いかという問題と医療との関係です。やはりガイドラインがないと、医療の安全は保てません。これは、科学だけでなく道徳も関わっていて、科学というものを正しい形で機能していくための、非常に重要な社会的な外的条件と言えると思います。他にもAI技術の広がりなど、道徳的に考えるべきことは山積みです。これらに加えて法も重要です。他人の権利や利益を侵害してしまった場合の損害賠償や刑罰、あるいは危険な物質を取り扱う場合の規制など、法は道徳と連動して、後者の最も重要な部分を社会的に強化するものです。科学は自由を軸としますが、結局は、人間の営みなわけですから、人間と社会にとって何が適切なことか、あるいは正しいことなのか?そういう感覚を持ち、磨いていくことが重要なのではないかと思います。
科学に関する内省を出発点にしてお話をしました。繰り返しになりますが、科学はその環境、条件となっている外部の人間社会に連関しています。そして、何よりも重要なのは、いま、こうして皆さんと一緒に話をして考えてきたこと自体が、もう内省をしていることです。常に頭を使えば、自身の様々な科学的な活動を内省化して捉えることができます。哲学の領域には、人文社会科学の最も重要な「汝自身を知れ」という格言があります。これは現在、広義の意味で公正感覚を持って、人格を培い、磨き、堅持する。それによって、自分自身の行いを知る、という意味でしょう。難しいことですが、それが大変重要であることを示唆しています。しかし、個人には限界があります。仲間とのコミュニケーションを大切にしてください。相互に尊重し、相互に学ぶ。それによって、自分自身の考えも深化します。それこそが科学というものを進めていく主体的なやり方なのだろうと思います。ありがとうございました。