Ph. Dialogue「博士人材セミナー」は、Ph. Discover連携企業からゲストを迎え「博士課程修了者が企業でどのように活躍しているのか」「企業は博士人材に何を求めているのか」についてお話してもらい、後半はゲストと学生が対話を通して交流する企画です。21回目は時丸祐輝さん(旭化成株式会社)をお迎えしたPh. Dialogueをお届けします。
旭化成株式会社
1922年に創業した総合化学メーカー。日本で初めて水電解の水素を利用するカザレ法でアンモニア合成に成功する。合成化学や化学繊維事業から始まり、現在は超多角化企業に成長。世の中にイノベーションを起こすことで、“昨日まで世界になかったものを”生み出していく。
イノベーション経営の鍵は「知の探索」にあり
本日は「企業における博士出身研究者の役割、産業界での魅力と挑戦について」というタイトルで人事部人財採用室の時丸が説明させていただきます。あとでまた詳しくお話ししますが、私は東京大学工学系研究科化学生命工学科の博士課程を修了し、2019年に旭化成に入社しました。元々、技術系の人間なのですが今は人事部にて技術系の新卒採用を担当させていただいております。
はじめに今、日本企業を取り巻く環境をご説明します。スイスの団体International Institute for Management Developmentが作成する「世界競争力年鑑」によると、現在の日本の競争力は2023年度で過去最低。とりわけ経営の効率性やイノベーションに関する力が諸外国に比べて極めて低い結果になっています。
その危機感を持ちながら「イノベーションを起こす経営に必要なものは何だろう」と考えたとき、下記に示すような「知の探索」と「知の深化」、この2つに基づいて展開される経営理論があります。
一般にどの企業も短期的な成果を追求すると「知の深化」にばかり傾倒するコンピテンシー・トラップに陥り中長期的なイノベーションが枯渇すると言われています。勿論「知の深化」も非常に重要ですが、将来の予測が困難なVUCA※な時代といわれる今だからこそ、「知の探索」を広げる方向にベクトルを振り、幅広い視座で知を探索していく「両利きの経営」の感覚が必要だといわれています。
私はこのことは個人においても同様であると考えています。この先は私自身の体験を皆さんと共有しながら、企業でどのような博士人財が求められているのかを探る機会としていただければと思っています。
※VUCA:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字から成る造語。社会環境・ビジネス環境の複雑性が増大する中で想定外のことが起きたり、将来の予測が困難な不確実な状態を指す。
分野や既存の概念を豪快に飛び越える
こちらは、私の大学時代から現在に至るまでのライフチャートです。修士課程を終える頃には、この先、指導教官に導かれた研究テーマではなく自分主導でイノベーションに到達するプロセスを体験したいと思い、博士課程進学を決意しました。
博士課程進学と同時にスイスのチューリッヒ工科大学に留学し、現地でサイエンスの幅広さや異分野同士のかけ算が有効であることなどを学ぶことができました。
この経験があったからだと思います。帰国後は苦戦もしましたが、他のラボとのコラボがきっかけとなって、一気に研究が進展。「真のイノベーション」は分野を飛び越えた組み合わせにあるという感覚を深められたように感じます。こうした異分野との融合を産業界でも実践するべく企業就職を検討しておりましたが、多様な事業を有しており自律的に挑戦することが推奨される風土の旭化成に魅力を感じ就職しました。
1〜2年目、技術職として「軽くて硬い自動車の材料を事業化する」というミッションに取り組みました。私の担当は、用途開発と繊維強化樹脂を作る生産設備の選定でした。限られた時間と費用の中でしたが「昨日までは世界になかったものを創る」という想いがあり、大胆な製造方法の変更を提案したところ、これが採用されて会社もその事業への本格的な投資を決定。自分の提案で会社が変わり、さらには世の中が変わっていくという震えるような体験をいたしました。
幅広い事業領域と若手に期待する社風
3年目からは「新しい研究テーマの提案」に取り組むことになりました。旭化成のリソースを最大限活用し、質の良い事業を生み出すために「技術のずらし」を意識しました。競争力のある事業を生み出すためには「サイエンスの新規性・斬新さ」が欠かせません。その新規性や斬新さを横軸に据え、自社に関連技術があるか否かを縦軸にして考えるチャートを元にテーマを絞り込んでいきました。言わば、自社技術と異分野となる新規技術の融合を模索した形となります。
この新規プロジェクトに関しては現在も開発中の案件ですので詳細はお伝えできませんが、「これ!」というテーマが見えてきてからは「急所を決める」「情報収集」「技術構築」「共同研究」の手順を踏みながらすすめていきました。今も大勢の関係者が共創しながら社会の課題を解決するべく事業化に取り組んでいます。
今思うと、このときは過去に大学の研究室でも新規テーマを提案した経験や実験計画を立案する経験、それを論文という形に落とし込む経験が活かせたように感じます。皆さんも学生時代様々な苦労をされているかと思いますが、必ず何かしらの形で今後の人生に活きてくるという例として捉えていただければと思います。
また、このプロジェクトが実現できたのは、社内の発表会で種となる研究テーマを発表したところ、予想以上に色々な事業部から「一緒にやりたい」と声をかけてもらったことが大きかったと感じています。私が旭化成に入社したいと思った動機の一つにもなりますが、当社は事業領域が国内メーカーの中でも群を抜いて広く、触媒、高分子、繊維、膜、化合物半導体、住宅、ヘルスケアなど技術の領域が多岐に渡ります。年次に関わらずチャレンジを推奨する風土もあり、若手のうちから得がたい経験ができたと感じます。
人事配属で開けた視界
このように技術職として波に乗りかけていた矢先に今度は採用を担当する人事部人財採用室に異動になりました。検討テーマが軌道に乗りかけていた最中、まさかという思いでしたが、実際に着任してみますと実にやりがいがある仕事だとわかってきました。
まず本日のように才能あふれる素敵な学生さんたちと出会えることは勿論ですし、社内外問わず様々な人脈を形成することができました。何より、皆さんを通じて最先端のサイエンスを知ることは技術者でもある自分の成長につながっていると感じています。また、想定していない領域に身を投じることで、博士課程にて培った課題を捉える力、業務の要点を掴む力が技術職以外でも通用するという実感を得られたのも今後の自信に繋がりました。残りの任期もワクワクしながら過ごすことになりそうです。
「知の深化」と同時に「知の探索」を鍛える博士課程
最後に今回のメインテーマである「企業における博士人材の役割」をお話しします。みなさんは、博士人財というと真っ先に専門性が求められると認知していると思います。無論、専門性は大前提重要ではありますが、科学的思考やデータの取り扱いといった基礎教養や、さらには課題設定や論理的思考、アウトプットなどのコアとなる能力も非常に重要になってきます。
ここで再び、冒頭で紹介した「知の探索」「知の深化」チャートを使い、そこに博士人財を当てはめてみましょう。
上記に示すように博士課程を通して皆さんは「知の深化」、具体的には精錬や選択、生産、効率などのキーワードに象徴される学びの真っ只中にいますが、実は同時に「知の探索」側の力、サーチや変化、リスク、実験、遊びといった要素も鍛えられていることに、ぜひ目を向けてほしいと思います。そして、この「知の深化」「知の探索」双方の力を備えている博士人財こそ、これからの企業が求めるイノベーション経営に資する人財であるということも。
旭化成のスローガンは“Creating for Tomorrow”、「昨日までは世界になかったものを創造する」ことを全社員が目指しています。今日の話が皆さんの博士課程での日々に少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。
【コミュニケーションタイム】
優秀な人財が熱く働く旭化成
Q:時丸さんが自己紹介で「就職活動は旭化成一社のみ」と話されていて驚きました。なぜ旭化成に?
時丸 : 就職活動ではまず、大学時代にやっていた基礎研究の枠組みから外れて、技術が社会にものが出ていくまでの流れを見たかったので「メーカーに入りたい」という気持ちがベースにありました。それから周りにいた優秀な先輩たちがこぞって旭化成に入社し、その人たちが口々に「中の人たちのレベルがすごい!」と熱く話しているのを聞いて、関心を持ちました。
説明会にも出て、先ほどお話ししたように事業領域の広さや若手もどんどん提案ができる社風を聞き、自分のカラーに合っているなと感じて入社試験を受けたという次第です。当時の人事が言っていた「うちの事業は何でも使い倒していいよ」という言葉も印象に残っています。
一回の実験がより重要に
Q:大学と企業、〈研究〉に違いはありますか?
時丸 : スケジュール感はかなり異なります。企業は限られた開発期間や勤務時間、プロジェクトに関わる人数、非常に厳格な安全面などを考慮すると、一回の実験が持つ意味合いが非常に大きくなリます。本当にこの実験をやる意味があるのか、ということを何度も考えるようになりました。
それから入社3年目の新しい研究テーマを絞り込んでいく際にも、大学ですと自分の興味・関心をひたすら深掘りしていく色が多いかと思いますが、企業で重要ことは会社の方針や社会のトレンド、顧客のニーズとも連動した「新しさ」だったので、これはもういろいろな人に聞く・調べるということに尽きると思います。そこも大学と企業の違いですね。
大学院生の本分は研究です
Q:大学院時代にやっておけばよかったと思うことはなんですか?
時丸 : やはり研究です。私の場合、プログラミングをやっておけばよかったなと思ったこともありますが、入社後に不得意なところは周囲を頼ったりChatGPTなどの最新AIを使ったりすれば、専門家に敵わないまでもなんとか形になることが少なくありません。
それに反して研究は、深く携われば携わった分だけ自分自身の基礎能力になります。就職活動に追われる大変さももちろん承知していますが、できれば皆さんも本分である研究をおろそかにしないようにバランスをとりながら、就職活動に取り組んでいただけたらと思っています。
限りある時間を自覚し前のめりに
Q:入社されてからいくつもの業績を上げておられますが、ご自分のどんな力や考え方がそれを支えたとお考えですか?
時丸 : 私は論文の数もそうですが、いわゆる手数が多いタイプでとにかくおもしろそうだと思うことには迷わず突き進み、それがダメだと感じたらスパッと切り替える。あまり褒められるやり方ではないかもしれませんが、そんな風に進んできたところがあります。
時と場合によっては手一杯になってしまうこともありましたが、自分ができないことは周りの方々を頼り助けていただいて、その中で「これだな」と思えるものに絞り込んだらあとは一極集中する。時間は限られているので、つねに前のめりに突き進みたい。そんな性格が幸いしたのだと思います。
「自分は落ち込んでいる」とメタ認知
Q:気持ちの浮き沈みには、どのように対応していますか?
時丸 : 私も落ち込むときは落ち込みます。ただ、どうやら人は課題に相対した際、課題の全容の把握のために一度気分的に落ち込み、そのあとは課題の把握と共に自己肯定感が上がるという説があるようです。落ち込んだときは「あ、今自分はそういう時なんだな、頑張ってるんだな」とメタ的に認知するのも、大切なことだと思います。あと、体を動かすこともいいと思います。気分の切り替えにもなるし、前向きなアイデアが湧いてくる。学生時代はそれを意識して走ったりしていました。
開 催:2024年3月7日
主 催:Ph. Discover
共 催:北海道大学大学院理学研究院/北海道大学博士課程物質科学リーディングプログラム