2019年10月11日に開催した専門性を生かすキャリアパスセミナー「市場を創り出す~未踏の領域でのソフトウェア開発~」の講師にお招きした石井恵三(株式会社くいんと 代表取締役)さんに、数学を専攻している学生と教員に向けて専門性を生かした企業の現場についてお話をしていただきました。
日時: 2019年10月11日(金)16:30~18:30
場所: 理学部3号館2階 第3講義室(3-205)
講師: 石井 惠三 氏(株式会社くいんと 代表取締役)
主催: 北海道大学大学院理学研究院数学部門
共催:北海道大学物質科学フロンティアを開拓するAmbitiousリーダー育成プログラム/博士人材の未来を拓く北海道大学理工系大学院教育改革Ph.Discover/北海道大学大学院理学研究院/北海道大学大学院理学院
(2)のつづき
日本のものづくりに必要な数学研究者
ここから皆さんにぜひ伝えたいことをお話しします。現在、我が国のものづくりに必須なCAE(Computer Aided Engineering)ソフトウェア、つまりコンピュータによって数値解析するソフトウェアですが――今や原子力機器も自動車も家電もスマホもあらゆる製品がCAEのソフトウェアを利用しています(というより、なしではモノが作れない)――しかし日本製のCAEソフトウェアがほとんどない。唯一の例外が、私が最初にいた会社が手がけた電磁場ソフトJMAGで、これは日本でトップシェアを維持し世界で第二位。それしかありません。
実は中国や韓国、ヨーロッパ諸国も日本と同じで、CAEソフトウェア市場はアメリカとフランス、そして一部ドイツ製に席巻されています。
これをただのソフトウェアの話だと思うと大間違いで、10年後20年後の日本のものづくりを考えると確実にまずいです。最初にお話ししたとおり、海外のCAEソフトウェアの現場には数学と物理のPh.D.がゴロゴロいます。以前ミュンヘンのBMWで議論に参加させてもらいました。衝突の現象について議論していたのですが、疑問が出てくると必ず原点に戻り、基礎方程式をホワイトボードに書き始める。日本では見られない光景ですよね。
結局のところ、大切なのは基礎学問。特にエンジニアリングの分野で大事になるのは数学です。私は皆さんに、数学ができたらぜひ物理の道にも入ってほしい。理由は、この二つができれば大抵どんなものにも対処できるから。日本では非常に希少な人材になります。
日本のような小国が世界と競争するためには、数学を勉強した人が確実に必要になってくる。
これは僕の心の叫びなので真剣に聞いてくださいね。数学と物理の人の協力がなければ、今以上の成長も発展もなくアメリカの属国になってしまいます。
ウィーンの夜、思いがけない方から…
マジメな話ばかりだとつまらないでしょうから、面白いエピソードもご紹介します。
2002年にウィーンで行われた計算力学の国際会議(WCCM5)に参加したときのことです。1週間の会議が終了して、帰りの予約した飛行機までまる1日時間が空いた私は、高校の時に感銘を受けたミュージカル映画『サウンド・オブ・ザ・ミュージック』の舞台となった古都ザルツブルグを見てまわりました。
夜9時にウィーンに帰ってくると、インペリアルホテルに日の丸が飾ってある。「誰か来るのかな」と思っていたら、そのうち白バイに先導されたベンツのリムジンが3台止まり、真ん中のベンツから当時の天皇陛下、今の上皇陛下が出てこられました。そのとき近くにいた私に、陛下が寄ってこられて「日本の方ですか?」と聞かれたので「そうでございます」と最敬礼でお答えしました。
「ウィーンには何をしに来られましたか?」
「計算力学の国際会議に出席するために参りました」。
「計算力学ってなんですか?」
「……」
とっさのことで説明に困った私が口ごもっていたら、陛下のほうから「お疲れ様でした」と言われ、続けて皇后陛下からも「大変ですね」とお言葉をいただいたのが、ウィーンでの貴重な思い出です。
「社長に内緒で」秘書の決断に奮起
この世界は想像以上にリスキーで、つねに困難が付き物です。僕はバカな性格ですから1985年に創業し、4年後の1989年には作った借金が億のオーダーを超えました。
当時の利息は9.25%。億を超える借金をして、毎月毎月なけなしのお金を集めて100万円を銀行に返しているのに、元本が1円も減らない、つまりこれはオール利息払いです。いよいよおしまいかな、と思いました。
その時に会社の創立メンバーでもある秘書が、一枚の紙を持ってきて「社長に内緒で社長の生命保険に入りました」と言うんです。銀行に100万円返しても利息払いにしかならない時に、月々25万円も払って2億円の生命保険に入ったと。
「これがあれば社長に何かあっても社員に退職金を払えるし、大きな借金も全額返せます。だから雑念を捨てて、目標に向かって一心不乱でやってください」とハッパをかけられました。
これを聞いて正直カチンときましたが、すぐに自分が恥ずかしくなりました。秘書である彼女がこんなに心配して大胆な決断をしたのに自分は一体何をやっているんだと。そこから自分のソフトがどうやったら利用者に「良かった」と思われるのか、そこだけに集中して(死ぬ思いで)働き、5年間かけて借金を全額返済することが出来ました。まさに奇跡が起こりました。(本当は菊池先生の多大な協力がありました。)
この一連の経験から、神様は全ての人に試練を与えるけれど、己を反省して真摯に向き合い信念を貫けば必ず手を差し伸べてくださる、人への感謝の気持ちを持ち続けることが周りの人の心をも豊かにするということを学びました。きっかけを与えてくれた秘書に心から感謝しています(彼女は現在専務取締役で、経営を担っています)。
「礼」を尽くして未来の稲穂に
最後にお伝えしたい皆さんへのメッセージは、どんな時でも「相手に礼を尽くす」ことです。数学をやっていると“あいつ、ちょっと飲み込みが悪いな”と思う場面もあるかもしれませんが、相手には必ず良いところ、あなたと違う長所が必ずあります。相手に礼を尽くすことを心がけてください。
それと2019年にノーベル化学賞を受賞された吉野章先生も同じことをおっしゃっていましたが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。この言葉の意味を正しく理解して、世のため人のために胸を張って仕事をしてください。数学、絶対に役に立ちますから。
世の中の営みは人と人との間で行われているわけですから、皆さんが頑張れば日本は明るくなってよくなります。皆さんがご自分の力で、世界にチャレンジしてくれることを期待しております。ありがとうございました。
質問タイム
石井氏の講演後、学生たちから活発な質問が飛び交いました。抜粋してご紹介します。
やったことがない分野には「やってみます」
――大学院時代をどう過ごしたらいいか、アドバイスをお願いします。
石井: いつも思うことは、皆さん、せっかく授業料を払って大学院で勉強されるわけですから、博士課程の方は特にご自分の研究をとことんやってください。
例えば専門書を読むときにいろんな本をつまみ食いする方法もあると思いますが、やはり一冊の本を最初から終わりまでちゃんと理解して読み通した経験こそが社会人になって生きてくる。ですから、まずは自分の研究テーマをしっかりと追求すること。
それができていれば、社会に出て「あいつはあれしか知らない」と言われても気にすることはありません。研究とは時代ごとにどんどん分野が増えていくものですから、それらを全部知っている人なんてどこにもいないんです。
企業に入って全く未知のテーマを与えられた時は「やったことはありませんけど、やってみます」と言えばいいのです。失敗したって命まで取られるようなことはありません。失敗を恐れたら人間は小さくなって、チャンレンジをできなくなります。
ソフトウェア作りはほぼ一週間で脱・初心者
――こちらが数学の知識を持っていたとしてもいきなりソフトウェアを使えるわけではなく、ソフトウェアの知識を持っている人と数学の知識を持っている人が互いに歩み寄って問題を解決する、というイメージでお話を聞いていました。
石井: そう言う場合もありますし、数学の方がもしソフトウェアにアレルギーがあるのだとしたら、少しでいいのでチャレンジしてほしいです。実はソフトウェアって1週間くらい勉強したら誰でもすぐに作れるようになります。
当社でも新人を1週間教育したらもう3年経ったベテランの域に達しています。ただ、作り方は人によって異なりますし、スピードや精度も違います。
もう1つ言えば、ソフトウェアを作り始めた人は大体のめり込みます。最初は苦手意識があってもじきに楽しくなって、「いい加減やめて帰りなさい」と言っても「いや、もうちょっと」となる場合が多いです。
数学の学生にはもっと自信を持ってほしい
――工学のものづくりが数学者を必要とすることと、数学の学生が応用に興味を持つことへの期待についてもう少し詳しくお願いします。
石井: 一般論で言うと、工学系の博士を持っている人でも数学の知識は割と乏しい方が多いです。例えば、機械工学の博士に「この微分方程式を解いてみて」というと、「ソフトを使えばいいんじゃないですか?」と答える。「いや、そうじゃなくてちゃんと自分の頭で分解してみてよ」と言っても、工学系の人にとってはハードルが高い場合があるのです。
ですので、数学の方は、もっと自信を持っていいと思います。ダイバーシティという言葉があるように、いろんなタイプの人が融合したら必ず良いものが出来上がります。「自分は数式展開ができればそれで満足だ」と思われる人もいるかもしれませんが、数学を修めたら企業でもできることがいっぱいある。チャレンジ精神があれば、どんなことでもできると思います。
弊社には今、数学の専門家はいませんが、本音はすごく欲しい。欲しいのだけれど、見つからないという現状です。
原理原則に戻って考えるニッチの優位性
――くいんとさんが強みとされている“ニッチな部分”とは具体的にどういうことでしょうか。
石井: CAEの分野は果てしなく広く、我々がカバーしているのは構造の最適化というごく一部です。そこでは他社に負けたくないと思っています。イメージベースCAEも当社がリードしていましたが、今は世界の数社が参入してきてなかなか厳しい状況……でも、それでもニッチです。
製造業一般で言うと、機械の設計や流れの現象、熱、電磁場、物理現象…とやらなければならないことがたくさんありますよね。私たちはその中の“質量を軽くする”とか“形状を軽くしたら振動特性も良くなりますよ”ということを提案している。もっと原理原則に戻って考えましょうよ、というのが当社の最大の強みだと自負しています。
非常に狭い分野だという自覚はありますが、まずその分野で勝負をして、ある程度の優位性が保てたら別の分野にもチャレンジしてみようか、という感じです。
――産業用ソフトウェアを見たことがないのでちょっとピンとこないのですが…。
石井: 例えば皆さんが大学で学ぶためのソフトウェアは境界条件が限られていますが、産業用ソフトウェアはありとあらゆることを考慮しなければいけないので実に大変。境界条件というのは、数学をやっている人はお手のものだと思いますが、現実の境界条件は、実物の稼働を模擬しなければ使えません。
我々はライブラリーのように貸し出すのではなく、単独で動く1つのモジュールとして製品を売っています。もちろんつねに他社との競争があるので大変ですが、一生懸命がんばるとそれなりになんとかやっていける。お客様が「ありがとう」と言ってくれた時が最高のご褒美です。
何のため?誰のために?を問う日本のものづくり
――お話をうかがっていて、日本あるいは日本のものづくりにこだわっていらっしゃると感じました。
石井: こだわる理由を問われたら、私は日本人だからです。それから最近顕著になっている日本企業の成果主義に非常に危機感を覚えています。あるときテレビで赤字を出した大企業の社長が、海外の空港でインタビューされ、「社員が働かないから赤字になるんだ」と言っている姿を見てものすごく腹が立ちました。
それ、違うだろうと。少なくとも自分が育ってきた頃の日本ってそうじゃなかった。もっと周りの人を助けたし、自分も人に助けられたし、仕事をするのはただお金をたくさん稼ぐためじゃないんですよね。自分の会社の持っている技術を少しでも高みに持っていきたいし、このソフトを使って実際に喜んでくれる人の顔を見たらやっぱりもっとやりたくなるじゃないですか。
そういうところが最近すごく薄れていると感じるので、私はあえて社名も平仮名にしましたし、もっとたくさんある日本の良さを再確認したいのです。数学の世界にも小平邦彦先生や高木貞治先生という素晴らしい大先生がいました。彼らが日本のためにどういう頑張り方をしたか知ったら、やっぱり自分もそれに恥じないように頑張りたいと思う。それが私なりの日本へのこだわりです。
石井 恵三 ISHII Keizo(株式会社くいんと 代表取締役)
1948 年、神奈川県横須賀市出身。1970 年、日本情報サービス株式会社(現、株式会社JSOL)に一期生として入社。1985 年 株式会社くいんと設立、代表取締役社長として現在に至る。 「位相最適化の応用に関する研究」で、2002 年、東京都立大学において博士(工学)の学位を取得。日本計算工学会より功績賞(2012)、技術賞(2015)を受賞。日本計算工学会フェロー(2013)。趣味はドライブと映画鑑賞。